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フェルデンクライス・メソッドの成り立ち



 フェルデンクライス・メソッドは、創始者のイスラエル人モーシェ・フェルデンクライス博士(1904〜1984)が、自分の膝を治すために行った研究の集大成から生まれました。

彼の痛めた膝は、当時の医学では治すのが難しく、手術をしても成功する確率は5割、もし失敗すれば一生車椅子、手術せずにそのままおいても、いずれ車椅子という状態でした。
彼は医学に頼らずに、膝を治すことを研究し始めました。
そうして脳と神経システムに働きかけて、動きを改善する方法をみつけだし、膝を回復させることに成功しました。

博士は多才な人で、 ソルボンヌ大学で物理を学んで、ノーベル賞で有名なキューリー夫人の研究所で働いていた科学者でした。

また、講道館の創始者、加納治五郎が渡欧した折、柔道の手ほどきを受けて、その後ヨーロッパで先がけて黒帯を取り、柔道を教えていました。

博士は1984年に亡くなりましたが、晩年を知るドロン・ナボンさん(
1996年に日本で最初のフェルデンクライスのトレーニングコースを立ち上げて、その後2期、3期まで延べ12年間のコースを運営した人)は、「彼は猫のように、足音を立てず巧みに歩いた」と語っています。

博士が行った1対1のレッスンは、
F I (エフアイ)(Functional Integration / 機能の統合)と名づけられています。
のちに、
ATM(Awareness Through Movement / 動きを通した気づき)という、言葉の指示を使って、大勢に働きかけるグループレッスンも開発されました。










赤ちゃんが生まれてから1年足らずのうちに、寝返り、這い這い、四つ這いと動きの学習をしていき、やがて二本の脚で歩き出すまでの発達過程を、博士は熱心に研究しました。
教科書を読んで言葉の知識を入れるのとは全く違う方法で、からだの動きを学習していく過程は、ATMレッスンのアイディアにもつながっています。

1970年代の前半には、ヒューマン・ポテンシャル・ムーブメント(人間性回復運動)のメッカになっていた、アメリカ西海岸のエサレン研究所で、博士のワークショップが開かれました。
当時、からだの動きを通して脳と神経システムに働きかけて、潜在している能力を目覚めさせていく、自己の再教育理論は、革新的なものとして受け入れられ、アメリカにも広がっていきました。

余談です。昨年、京都でルーシー・アーロンさん(フェルデンクライスメソッドの指導者でボーンズ・フォー・ライフの創始者)とお話しした折、フェルデンクライス博士がエサレン研究所でワークショップを開いたときには、ルーシーさんも一緒に行ったと、懐かしそうに語ってくれました。










  それから40年近くが過ぎようとしている現在、フェルデンクライス・メソッドは、アメリカ、オーストラリア、ヨーロッパなど、世界に広がっています。

日本では1996年に初めてのトレーニングコースが組織され、4年間のトレーニングを経て、2000年5月には70名近いプラクティショナーが誕生しています。

(私もその一人です)

その後もこのコースは続き、現在は4期目が進行中です。
また、5年前にスタートした京都と横浜のコースからも、それぞれに卒業生が出て、2期目のトレーニングが始まっています。

現在、国内の各地にフェルデンクライス・メソッドが広がりつつあります。

                                       2011/07 記
 










2006年3月に名古屋のアクテノンで開かれた
ドロン・ナボンさんのワークショップ


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